貨幣のトリビア
貨幣の素材
貨幣と言うと金属で作られたものが思い浮かびますが、実はその他にも変わった素材で作られた貨幣があるのはご存知でしょうか。
まず、貝から作られる貝貨(ばいか)について。元々、貝は見た目の美しさや希少価値の高さから装飾品として珍重されていました。その影響で、現在お金に関する漢字には「貝」の部首が多く用いられています。例えば、「買」「貸」「財」などが挙げられます。
このほかにも、石貨(せきか)、陶銭(とうせん)、竹幣(ちくへい)、木札(もくさつ)などがあります。
世界最大の貨幣
世界最大の貨幣は、西太平洋のヤップ島で使用されている「フェイ」です。フェイは、円形もしくは長円形をした石貨で、大きいものは持ちやすいように真ん中に穴が開いています。大きいもので直径3.6mになるものもありますが、直径が数10cmで持ち運びの便利なサイズもあります。主に結婚式や儀式などの際に使用されます。
世界最古の貨幣
貨幣の誕生は、紀元前7世紀頃までさかのぼります。リディア国(現トルコ)で、金と銀の合金で作られたエレクトラム硬貨が世界最古の貨幣と言われています。リディア王の紋章であるライオンの頭部を刻印しているため、「リディアのライオン」としても知られています。
言葉の語源(1)鐚(びた)
作られた貨幣の中でも質の悪いものは、「鐚銭」と呼ばれていました。転じて、鐚とは価値の低いお金や、わずかな金額のことを指すようになりました。「鐚一文まけられない」や「鐚一文持っていない」などのように使われています。
言葉の語源(2)試金石
江戸時代、小判の製造において「試金石」と呼ばれる石が使用されていました。那智黒(なちぐろ)などの黒い試金石に金などをこすり付け、その条痕と試金棒(標準試料)を比較し、小判の原材や製造過程の品質を検査していました。転じて、物の価値や力量を測る基準となる物事を「試金石」と呼ぶようになりました。
小判が輝いて見える理由
小判がどのように作られるかをご存じでしょうか。小判は金だけで作られているのではなく、銀も含まれています。では、金の配合割合はいくらだったのでしょうか。江戸時代で見てみると金濃度は56~87%と大きく変動しています。56%というと、ほぼ半分しかありませんが、小判の色はどれも見事な金色をしています。これは小判製造の最終工程で行われる作業に秘密が隠されています。その方法とは、小判に数種類の薬品を混ぜ合わせたものを塗り、熱を加えて洗い流すというもの。そうすると、表面に含まれる銀だけが溶けて金の濃度が高くなり、美しい金色が姿を現します。
紙幣のトリビア
新紙幣発行の目的
印刷技術の進歩と共に、紙幣の偽造技術も進化しています。偽造防止のためには、約20年を目安にデザインを変更していく必要があります。
お札の寿命
お札は国立印刷局が製造し、1年間にして約30億枚が日本銀行に納品されます。お札の寿命は、千円札と五千円札が約1,2年、一万円札では約4,5年と、短い期間でしか使用されません。
お札に肖像が描かれている理由
人間は人の顔を見分ける能力に長けています。そのため、紙幣に描かれている肖像のささいな“ずれ”や“ボケ”に気付きやすいのです。この特徴を活かし、偽造された紙幣を見分けるために肖像が描かれています。しかしその反面、人物以外の建物や風景などの絵では、多少の違いがあったとしても気付きにくいと言われてます。
肖像に選ばれる基準
お札の様式は、財務省、日本銀行、国立印刷局の3者で決め、決定する権限を持つ財務大臣が承認します。肖像に選ばれる人物についての決まりはありませんが、国民から尊敬され、一般的にも有名な人物が選ばれます。描かれるのは、彫が深い中年以上の人物が多くみられます。これは偽造防止対策の一つで、顔のしわや凹凸など特徴のある顔であれば真似しづらくなるためです。五千円札に採用された樋口一葉は、24歳という若さで亡くなっており、しわなどの特徴が少なかったそうです。そのため、出来上がるまでに多くの時間を必要とし、予定していた完成時期よりも数ヵ月遅れての完成となりました。
お札の「A券」や「い券」って何のこと?
これまでに多くの紙幣が発行されてきましたが、それらを区別するために記号などで名前を決めています。
C券であれば、戦後3番目に作られたことを意味しています。
読み方:「記号金額円券」
年代 |
記号 |
明治中期~昭和10年 |
甲乙丙丁 |
日中戦争~終戦前 |
いろは |
戦後 |
ABCDE |
福沢諭吉の1万円札は2種類ある!?
福沢諭吉が肖像となっている紙幣には、1984(昭和59)年に発行されたD一万円券と、2004(平成16)年に発行されたE一万円券の2種類あります。
|
ホログラム |
裏面 |
D券 |
なし |
2羽のキジ |
E券 |
あり(表面) |
鳳凰像 |
こんにゃくの紙幣
1885(明治18)年に発行された日本銀行兌換銀券(にほんぎんこうだかんぎんけん)は、紙を丈夫にさせるため、なんと、こんにゃくの粉を混ぜて作られました。そのため、タンスにしまっているとネズミなどに食べられてしまうこともあったとか……。
もし紙幣が破れてしまったら?
交換基準を満たしていれば、日本銀行で交換が可能です。
紙幣の状態 |
対応 |
紙幣全体の3分の2以上が残っている |
全額交換 |
紙幣全体の5分の2以上3分の2未満が残っている |
半額交換 |
紙幣全体の5分の2未満が残っている |
交換不可 |
紙幣のサイズいろいろ
■日本の紙幣で最も小さい紙幣
・1948(昭和23)年発行のA五銭券
・サイズ:縦48mm×横94mm
■日本の紙幣で最も大きい紙幣
・1891(明治24)年発行の改造百円券
・サイズ:縦130mm×横210mm
■現在発行されている紙幣
・2000(平成12)年発行のD二千円券
・2004(平成16)年発行のE千円券
・2004(平成16)年発行のE五千円券
・2004(平成16)年発行のE一万円券
・サイズ:縦76mm×横150~160mm
日本紙幣に使われているスゴイ技術
紙幣には様々な印刷技術が用いられ、偽造防止の役割を果たしています。その他にも、目の不自由な人が手触りだけでお札の種類が判別できるという役割もあります。
では、E一万円札を例に、どのような技術が使われているのか見てみましょう。
紙の厚さを変える技術で、光にかざすと模様が見えます。
すかしの技術が取り入れられたのは1882(明治15)年発行の五円券からです。
インクを高く盛り上げる印刷方法で、触るとざらざらしています。
一般のコピー機では再現不可能な程小さな文字が印刷されています。
紫外線を当てると塗ってある部分が光ります。
角度の変化によって見える文字や模様が変わって見えます。
表面の両端に印刷されており、角度によって薄いピンク色に見えます。
一見なにも無いように見えますが、角度によって表面は「10000」(紙幣の金額)、裏面には「NIPPON」の文字が浮かび上がります。
お金の単位~円の誕生~
名前の由来
江戸から明治へと時代が変わっていった頃、日本では金貨や銀貨、地域の通貨、外国の貨幣など、さまざまな種類のお金が存在していたため、混乱を招いていました。この状況を鎮静化させるため、1871(明治4)年、大隈重信によって新貨条例が公布され、「円」が誕生しました。私たちにとって馴染みのある「円」ですが、この単位になった経緯は諸説あるようです。
説1:
西洋の円形銀貨を中国では「洋円」「銀円」と呼んでいたことが日本にも伝わり、お金の単位の「両」を「円」とも呼んでいたため
ちなみに、当時は1両と1ドル(アメリカドル)が交換され、「1両=1円」であったため、為替相場は「1円=1ドル」と、現在の相場と比べると大きな差がありました。
¥マークは「yen」の頭文字Yからきていて、2本線は$マークを参考にしています。
しかし、なぜ「en」ではなく「yen」なのでしょうか。それについても、いくつかの説があります。
説1:
中国の紙幣「元」は「yuan」と表記されていて、変化して「yen」となったため
説2:
外国人は「en」を「エン」よりも「イン」と読むので、「yen」で「イェン」と読めるようにしたため
説3:
外国語では「en」自体に意味のある言葉が存在し、それらの言葉と区別するため