経理事務のお仕事で絶対必要とされる道具といえば「電卓」ではないでしょうか。
経理事務で必須の帳簿(仕訳帳や元帳など)は会計ソフトに変わり、パソコンを使ってお仕事をすることが多くなりました。それでも計算に「電卓」は手離せません。
「電卓」とは「電子式卓上計算機」の略で、電子回路によって計算を行う、卓上で使用できるサイズの計算機です。登場したのは今から50年程前の1962年で、当時はサイズも大きく、とても高価なものだったそうです。では、計算機の歴史をご紹介しましょう!
経理事務で必須の帳簿(仕訳帳や元帳など)は会計ソフトに変わり、パソコンを使ってお仕事をすることが多くなりました。それでも計算に「電卓」は手離せません。
「電卓」とは「電子式卓上計算機」の略で、電子回路によって計算を行う、卓上で使用できるサイズの計算機です。登場したのは今から50年程前の1962年で、当時はサイズも大きく、とても高価なものだったそうです。では、計算機の歴史をご紹介しましょう!
1.
電卓が登場するまでの計算
電卓が登場する前は、そろばん・計算尺・機械式計算機などが計算に使われていました。
そろばん
昔は、学校で「読み書き そろばん」と言われるほど、そろばんを使いこなせることがとても大
切でした。銀行などの事務職に就くためには、そろばんで計算が標準以上にこなせることが求められたそうです。そろばんの起源は、アステカ、アラブ、バビロニア、中国など諸説があります。西洋では平らな板の上に石を並べて計算するものだったようです。中国では「算盤」(スワンパン)と呼ばれ、珠(たま)は五玉(上側)が2個と一玉(下型)が5個の形でした。日本には中国から伝えられたといわれ、『日本風土記』(1570年代)には「そおはん」という記述があります。
日本で現在のそろばん(五玉が1個、一玉が4個)が定着したのは、昭和10年(1935年)に小学校の教科書の改訂で、この形が推奨されてからです。
電卓の登場までもっとも使われていた計算用の道具でした。
上:中国の「算盤」
下:日本のそろばん
計算尺
(けいさんじゃく)
計算尺は、棒状や円盤状のものがあり、対数の原理を利用したアナログ式の計算道具です。
乗除算、三角関数、対数、平方根などの計算用に用いられます。計算尺は結果をイメージとして示すものですので、得られる値は概数です。特定の目的の計算に特化した計算尺も数多く作られていて、航空機の燃料計算用、電球の寿命計算用、写真撮影用の計算尺式露出計など、様々な分野に特化した計算尺があります。
1970年代頃までは、理工学系の設計計算や測量などに利用されていたそうですが、現在では「関数電卓」が使われています。
円形計算尺
機械式計算機
機械式計算機は、歯車などの機械的要素を組み合わせて計算する機器でした。19世紀後半から
20世紀後半まで盛んに使われました。その後、大規模な計算はコンピュータに、卓上の計算は電卓に移っていきます。日本では大正時代に大本寅治郎氏が開発した「タイガー計算機」が有名で、この型の計算機を指す代名詞にもなっていました。「タイガー計算機」の生産・出荷は1968年頃がピークだったそうです。
タイガー計算機
2.
電卓の登場
世界初の「電卓」は、Bell Punch社(英国)が1962年に発売した「 Anita Mk 8」です。機械式計算機の歯車を真空管に置き換えたものでした。
大きさは「幅 40cm・奥行45cm・高さ26cm・重さ14kg 」(概算)と現在のノートパソコンより大きなものでした。しかし、機械式のような大きな音が出ず、計算が速かったので大きな反響を呼び、その後の電卓開発のきっかけになったと言われています。
大きさは「幅 40cm・奥行45cm・高さ26cm・重さ14kg 」(概算)と現在のノートパソコンより大きなものでした。しかし、機械式のような大きな音が出ず、計算が速かったので大きな反響を呼び、その後の電卓開発のきっかけになったと言われています。
1964年には日本のメーカーがAnitaの発売に刺激を受け、一斉に電卓を発表しました。
世界初のオールトランジスタ型電卓は、シャープ(当時の早川電機)の「CS-10A」です。トランジスタ530個とダイオード2300個を使用し、入力操作部分には数字の桁毎に10個の数字キーが備わっていました。大きさはAnitaと同じくらいでしたが、重さは25kgありました。
価格は535,000円と、当時は新車1台が買えるほど高価なものでした。
世界初のオールトランジスタ型電卓は、シャープ(当時の早川電機)の「CS-10A」です。トランジスタ530個とダイオード2300個を使用し、入力操作部分には数字の桁毎に10個の数字キーが備わっていました。大きさはAnitaと同じくらいでしたが、重さは25kgありました。
価格は535,000円と、当時は新車1台が買えるほど高価なものでした。
同じ年に、ソニー(当時の東京通信工業)もオールトランジスタ型の「SOBAX」の試作機を発表しました。技術水準は高く操作性も優れていましたが、もっとハンディなものを目指してさらに改良され、3年後に発売されました。
キヤノンからは「Canola 130」が発売されました。カメラレンズの設計に高性能の計算機が必要であったことから自社開発をしたものでした。テンキーを採用するなど、とても先進的なもので、価格も395,000円と4カ月前に発売された「CS-10A」よりも安いものでした。
大井電気からはトランジスタではなく、パラメトロンという素子を使った、「アレフゼロ101」が発売されました。
3.
計算機の進化
発売された当初の電卓は大型でとても高価だったため、主に会社で使うものであり、一般家庭で使われるものではありませんでした。しかし、1970年代に入ると電卓の小型化と低価格化が進み、個人でも使える身近な計算用の道具になっていきます。
1969年にシャープが世界で初めて開発に成功した、LSI電卓「QT-8D」は「幅13.5cm・奥行24.7cm・高さ7.2cm・重さ1.4kg 」と小さく、価格は99,800円でした。発売されるやいなや、大ヒット商品となりました。
1972年に発売されたカシオの「カシオ ミニ」は12,800円と当時の相場の1/3の価格で爆発的なヒットとなります。発売から3年で600万台が販売されました。
それまで職場に1台だった電卓は、個人で持てるものへと変わっていきました。
ワンチップLSIの登場で電卓を製造する部品点数が大幅に減ったことで、製造工程が単純化され、小さな工場でも電卓の製造が可能になりました。そのため激しい価格競争が起き、小型化もさらに進みました。
現在では、100円ショップで購入もできます。ケータイやスマホには電卓機能が標準で備わっていますから、プライベートではそちらを使われる方も多いのではないでしょうか。
とても気軽に使えるようになりましたが、「電卓」がなければ正確な計算はできません。経理事務のお仕事をされる皆さんには、ぜひ、大切に使って欲しいと思います。
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